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3.182020
質屋は【土倉】ど‐そう〔‐サウ〕と呼ばれていました。
ど‐そう〔‐サウ〕【土倉】
中世の金融業者。
現在の質屋にあたるもので、質物保管のための土蔵を建てていたのでこの名がある。
鎌倉時代より発生し、室町時代に京都・奈良で発展、幕府は土倉役を課して大きな財源とした。
資本のある酒屋などの兼業も多く、たびたび土一揆(つちいっき)の襲撃を受けた。つちくら。とくら。
土倉 どそう
中世の金融業者。「とくら」とも読む。
鎌倉時代には一般に借上 (かしあげ) は質物 (しちもつ) を保管するため堅固な土塗りの倉庫をもっていたので,次第に土倉 (土蔵) と呼ばれるようになり (史料的初見は 1234年) ,南北朝時代以降発展した。
特に京都,奈良など大都市や港町に多く,酒屋など醸造業を兼ねる者が多かった。
彼らは幕府,禁裏,公家,有力社寺に役銭納入や融資を行い,その保護を受け,貿易に参加する者もあった。
有力な者は,幕府の納銭方 (倉役) や禁裏の御倉職に任命され,財政上の実権を握るにいたった。土倉は徳政一揆の襲撃目標となったが,他方町衆の中心として都市自治の中核になった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について
現住所で初代・矢野義信が質屋を開業したのは昭和6年のこと。当時の店は小さな路地裏にあった。松山市駅はあるものの、現在の南堀端へは電車が通っておらず、花園町は通り抜けの道だった。今の歩道部分より狭い道幅だったが、人通りは多く、5軒ほど質屋もあった。
昭和19年・戦時中の建物疎開、そして同24年の「松山大博覧会」を経て、現在の大きな通りが誕生。矢野質店は、目抜き通りに面した好立地となった。松山のビジネス拠点としては「一等地」である。
質屋さんの2つの利用方法
品物を預ける(品物は手放さずにお金を借りる)
お預けいただく商品を鑑定・査定させていただき、お金をご融資します 品物は大切にお預かりさせていただき、期限内に質料と元金をお支払いいただければ、いつでもお品物はお客様にお渡しいたします。また、延長することもできます。もし、品物を手放すこと(質流れ)もできますので、取り立てのない安心システムです。 質屋預かりの流れ(詳しくはこちらから)品物を買い取る(品物を売却してお金を受け取る)
お品者が不用でしたら、買取りシステムをオススメします。 お品物をその場で鑑定・査定させていただき、評価にみあった代金で買取りさせていただき、この場合には、買取りですので、万一お品物が必要になったとしても、取り戻すことができません。 買取について(詳しくはこちらから)
松山市駅から徒歩1分の質屋|矢野質店
矢野質店お問い合せ TEL:
ホームページはこちらから
http://yano78.com